歌舞伎を題材にした映画と聞けば、
「これは絶対に観たい!」
と思うのが私です。
「どんなに美しい映像に
なっているのだろう」
とワクワクしていました。
私にとって歌舞伎の一番の魅力は、
やはり女形の美しさ。
舞台上で女性以上に女性らしく見せる
その所作や表情は
何度観ても心を奪われます。
私は手の動きが美しいと言われますが
歌舞伎の女形の指先の動きを
よく観察しています。
ただでさえ整った顔立ちの
吉沢亮さんが女形を演じる。
これは見逃せません。
(超美形好き)
長丁場のトイレ対策に
「ボンタンアメを持っていくといい」
というのも話題になっていましたよね。
映画を観て感じたこと
世間で絶賛されている通り
二人の歌舞伎は素晴らしかった。
所作、目線、声の響き…
本物の舞台のような迫力がありました。
短期間であれだけの
演技を身につけるには
相当な努力があったはず。
その背景を想像すると
尊敬の念が湧きます。
けど私は世間ほどの
感動はありませんでした。
理由は、スクリーン越しに
彼らの努力が見えてしまったからです。
もちろん努力は素晴らしいこと。
でも、物語に没入する瞬間は、
役者の努力を“意識しない”状態で訪れる。
その意味では、
「美しさ」や「感動」よりも
稽古風景を想像する時間が長かった。
「人は何者でもない」という気づき
舞台が人をつくる
この映画で一番心に残ったのは、
「人は何者でもない」という気づきでした。
何代目という肩書きや
伝統の継承者という重みも
舞台という場がなければ
ただの名前に過ぎない。
SNSで配信されている
海外の有名な演奏家が駅前で演奏しても
そこに文脈がなければ
誰も立ち止まらないのと同じです。
自分自身の立場を考える
私も三人兄弟の一番上で
「お姉ちゃん」ですが
妹や弟がそう思わなければただの人です。
パン教室の先生も同じ。
生徒さんが私を先生と
認識してくれなければ成立しない。
人は一人では「何者か」になれず
周囲や環境との関わりの中で
その役割が形作られるのです。
歌舞伎好きだからこそ感じたこと
劇中の演目と私の思い出
私は以前
歌舞伎をよく観に行っていました。
今回の映画に登場する演目の多くは
実際に観たことがあり
映像を通して過去の観劇の記憶が
よみがえってきました。

また劇場に足を運びたくなった
コロナ以降劇場に行けていません。
(コロナ中はよく行った)
この映画をきっかけに
「やっぱり生で観たい」という気持ちに。
舞台でしか味わえない空気や
役者の息遣いは、やはり特別です。
『国宝』は静かに自分を振り返らせる映画
『国宝』は華やかな歌舞伎の世界を
描きながら、「人は何者でもない」
というテーマを感じました。
肩書きや役割は固定されたものではなく
その時々の環境や人との関係で生まれる。
だからこそ、その役割を大切にし
与えられた場で全力を尽くすことが
自分らしさを形作るのだと思います。
私にとって『国宝』は涙を誘う映画ではなく
静かに自分を振り返らせてくれる作品でした。
観る予定がある方は、
「何者でもない」という視点で
味わってみると
新たな発見があるかもしれません。
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